外車の魅力の今昔。

まったく個人的な好みかも知れませんが、外車のデザインがつまらなくなりました。かつては、外車は憧れの対象。それは日本車にはない個性的なデザインや仕様があったからです。お国がらが反映されていて日本人ではあり得ない発想やデザインがありました。

イタリア車で「雨水が漏れてくる」とクレームを言えば「イタリアでは雨は降らない」と言われたり(笑)気温の涼しい欧州車は、エアコンが良く壊れたり。冬に道路に塩化剤をまくドイツのクルマは底が日本ではあり得ないくらいコテコテに塗装されていたり。見た目の美しさより実質を優先するドイツらしさが感じされました。アメリカ車は大きくて、ガソリンをまきながら走っていると言われるほど燃費が悪く、湿気の大いに日本では電気系統のトラブルが起こりました。大衆車のゴルフなどでもドアはがっしり分厚く、ボディはいかにも頑丈で守ってくれそうな気がしました。当時の個性的な外車は壊れて当たり前、維持費にもお金がかかる代物でした。

時代は流れて、そんな外車ブランドも日本に進出し、マーケティング感覚が向上し、グローバリズムやインターネットなどで情報の共有が進み、廉価版の車種も増えて、日本車のとの価格差も縮まり、仕様も日本で快適に乗れる内容になりました。
それに反して、日本車も含めてどのブランドのクルマも似通ったデザインになって来ました。世界中でコモディティ化しています。スポーツカー以外は、エンブレムを変えるとどこの会社のクルマか分からない位似ています。これはマーケティングの産物でもあるでしょう。

また、それだけクルマから趣味性が薄れていったということかもしれません。かつての名車ブランドも、デザインや仕様とは関係なく、ステータスを誇示するだけのクルマにも見えます。かつてのような品格や個性は、かろうじてグリルについたマークだけと言っても過言ではありません。まるでブランド名がプリントされた白いTシャツをユニクロの10倍の価格で買っているかのようです。
何百万円もするクルマのデザインが、没個性でしかもデザイン的に美しいのかどうか疑問に思うのは私だけなのでしょうか?マーケティンに的にスタイルが選択されたような作り手の感性を感じないデザインがブランド力だけでステータスのために消費されているようにも見えます。

また、日本車の価格も高くなりました。その割に給料が上がっていないので、日本車さえも高嶺の花と言っても過言ではありません。
大衆車の標準とされてきたカローラさえも200万円近くします。

「若者のクルマ離れ」と言われますが、若者が買える価格ではありません。加えてもっと他にお金を使いたいことがたくさんあります。交通網が発達し、渋滞が頻発する都会などでは、むしろクルマは移動に不便です。そういう状況で、高額なクルマしかないのは、メーカーは若者に買ってもらおうという気がないのかも知れません。

トヨタ2000GT

そういう状況に不満を感じている層も居るようで、最近、日本の旧車がブームだと言われます。70年代の日本車は個性的でした。年代を問わずクルマ好きの間では、当時のトヨタ2000GT をはじめとする当時の日本車への憧れが根強くあります。

EVや自動運転など、モータリゼーションは曲がり角を迎えていますが、現在のような実用分野のマーケティング的クルマは、そういった新しい手段にそっくり置き換えられてしまうのでしょう。
そのとき、いわゆる趣味性の高い「乗り物」としてのクルマは残っているのでしょうか?

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