代金は、「ありがとう」の代わりという考え方。

元ZOZOの前澤氏は、自身の商売の原体験が小学校の頃の経験にあると話しています。小学校の頃に、虫取りが得意で友だちに虫を捕ってあげていたところ、評判が広まり数が増えてきて、みんなが前澤くんも大変だろうと電車賃などを含めて代金をくれるようになったそうです。その時に、得意なことをして喜んでくれてお金もくれるのだと感動したそうで、このお金は「ありがとう」の代わりなのだなと思ったというようなことでした。

「代金はありがとうの代わり」というのは、商売の法則として、とても分かりやすい話ではないかと思います。高い安いというのは、結局買った人の商品に対する値打ちと、その人の経済環境と鑑みて判断されるものです。「ありがたさ」の度合いとも言えます。同じ商品でも人によって、高いか安いかは違ってきます。

現代のマーケティングというのは、しばしば潜在ニーズと称してニーズのない(顕在化していない)ところに「これはありがたさが抜群のものですよ」と巧妙な演出で売り込みます。その結果「ホントだ、気がつかなかった。すごく良い!」と思う人もいれば、元々ニーズがないわけですから「言っていたほどでもないな、騙された」と思う人も出てきます。そう言う商品は一時的に売れてもすぐに売れなくなってしまう危険をはらんでいます。この場合「ありがたさ」の度合いが人によって大幅に違います。

ブランド品と言われるものは、さらに複雑です。何に「ありがたさ」を感じるでしょうか。ファッションの場合、とにかくこのブランドを着ている気分が得られるのが「ありがたい」人もいれば、いつも好みのデザインを提供してくれる「ありがたさ」を感じる人もいるでしょう。機械などでは、頑丈だとか高性能だとかの見えないものに対する信頼(=「ここなら間違いないというありがたさ」)があると思います。

「ありがたそうだな」と思って買ってもらっても、買った後で「ありがたく」思わなかったら不満が生まれます。昔なら、不満を抱えた本人が「もう二度と買わない」と思ったり、周囲に愚痴を話したりする程度でしたが、今は違います。「買ったけど、謳い文句はウソだ」とレビューに書かれて、全世界に知らされます。「大したことの無い商品を誇大に広告して売る」という商売は過去のものです。

どんな「ありがたさ」を提供するかというという風に考えると商品づくりも新しい発想が生まれてくるかも知れません。

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